STAP細胞騒動

STAP細胞の最初の発表後の大騒ぎにはあきれた。異常だった。まだ基礎研究段階で、今後どうなるか判らないのに、なぜこんなに騒ぐのかと不審に思った。うさんくささ、やらせ臭さを感じたものである。

「捏造の科学者 STAP細胞事件」(文藝春秋刊)

本書は、毎日新聞科学環境部の須田桃子記者が、昨年11月までの経緯を詳しくまとめたものである。誰が、何を、いつ、なぜ、どのように捏造したのかを追求しようとした内容で正確さに注意してよく書かれているが、それだけに、はっきりした結論は得られてはいない。

記者としてフォローし、調べた内容を記事にしてきた経緯を、時系列的に書いているのだが、中程まで読んだとき、どの時点の話なのかわかりにくく感じた。
それは一つには、時間が記者の報道活動の時点と報道対象である研究を進めていた時点の二重構造になっていることによる。また、STAP細胞の研究が理研の研究員として正式に雇用される前(客員研究員の時)にほぼできあがっていたため私の理解が混乱したことにもよる。この本の内容を基に、自分で小保方氏の早稲田卒業後の足跡を簡単な年表にしてみてクリアーになったのだが、年表を付けておいてくれれば読みやすかったと思う。

  • 2006年3月:早稲田大学応化卒
  • 2006年4月~2008年3月:早大大学院に所属しながら、東京女子医大の研究所の岡野・大和両教授のところで修士としての研究を行う。
  • 2008年4月以降、早大と東京女子医大の連携研究教育施設で博士課程の研究を進めることが決まった。
  • 2008年夏~2009年8月:ハーバード留学
  • 2010年7月:理研の若山チームリーダと初めて出会い、キメラマウス作りを依頼。(博士課程3年)東京女子医大と神戸の理研を行き来した
  • 2011年2月:早大博士論文を製本 指導教官は早稲田の常田教授
    学部3年のときから常田教授のゼミで微生物を研究、その後修士課程から再生医療に分野変更
  • 2011年4月~2013年2月:ハーバード大ポスドクのまま若山研客員研究員
  • 2012年4月:特許仮出願
  • 2012年4月:ネイチャーに最初の投稿
  • 2012年6月:セルに投稿
  • 2012年7月:サイエンスに投稿
  • 2012年12月:小保方氏理研面接(採用)
  • 2013年3月:ネイチャーに再投稿、小保方氏ユニットリーダーになる
  • 2013年4月:特許国際出願
  • 2014年1月28日:最初の記者会見

私が読んでいる新聞は日経だけである。毎日新聞は見ていないので、非常に大量の記事が出ていたことは知らなかった。第十章「軽視された過去の投稿の指摘」と第十一章「笹井氏の死とCDBの『解体』」の中の博士論文の問題が一番興味深い内容だった。

中心人物である小保方晴子研究員は2011年3月に博士になったが、このときの博士論文がずさんだったことが詳しく書かれている。
序章の大量コピペについては、その研究分野のこれまでの進展や背景を述べた部分なのだから内容的にはコピペと同じようなものになると思う。きちんと引用元を書いておけば、問題にならなかったのではないか。
マスコミが研究本論の内容の出来映えに言及せず、序章のコピペばかり騒いでいたのには違和感を感じていた。序章の大量コピペ以外の詳細を本書ではじめて知った。

博士論文の画像とSTAP論文の画像が同じなどということがうっかりミスであるはずがないと思う。いずれは、論文にはごまかしがあるとか、再現出来ないとか言われるようになり、うそがばれると思わなかったのが不思議である。これでは、小保方氏は平気でうそをつく、普通の常識が通じない人だったと思わざるを得ない。
STAP細胞があるという妄想を信じているため、その証明は誤魔化しがあってもよい、いい加減でもよいと思ったのだとしたら科学者とは言えない。

ごまかしてもばれにくい立場になったのは偶然なのだろうか。
早稲田の大学院に籍を置きながら、東京女子医大の研究所に行って研究し、更にハーバード大に行き、そこで仕入れたネタを元に東京女子医大や理研で形を整え、それを博士論文にして専門外の早稲田の教授に提出して博士号を手にしている。研究で徒弟的に細かく指導されることを避けて、客員という扱いで細かいチェックをされないようにうまく立ち回ってうそを見破られないようにしたようにも見える。

この事件は、小保方晴子といういいかげんで思い込みが激しくいささか誇大妄想の人間にみんなだまされたということなのだろうか。
笹井CDB副センター長は、予算獲得のチャンスという果実に目がくらんで単にだまされただけなのか、いかがわしいと知りつつ論文のごまかしに手を貸したのか、iPS細胞に対する対抗意識から道を踏み外して、成果をごまかす論文を作ってしまったが、その不名誉があからさまになるのに耐えきれず自殺したのだろうか?
笹井氏の記者会見をTVで見たとき、責任逃れで見苦しいという印象を私も受けた。本書ではじめて知ったが、論文を作り直すに当たり不採用となった投稿の査読者の指摘を読まなかったというのも信じがたい。小保方氏は大嘘つきと思うが、笹井氏も少し正直でない怪しい印象である。

投稿して採用されなかった3つの論文に対し査読者が指摘した内容が興味深い。
1個の細胞にすることの技術的難易度が私には分からないのだが、1個のSTAP細胞でないと厳密な評価にならないのに塊を使ったことが特に問題であるようだ。

日頃の活動記録と報告メモ

ベル研では実験ノートにアイデアを書き、上司にサインしてもらって先発明の証拠にするという話は私も知っていたが、大学や会社で実験ノートが配られたり、その書き方が指導されたりした経験はなかった。
私は、会社では開発設計部門に所属し、実験結果や設計作業の報告メモは(部内向けだが)一段落着く毎にしょっちゅう書いていた。また、上司に進捗を報告する週報があった。
理研の研究所では、個人の実験ノートはともかくとして、日々の進捗を報告したレポートを毎週1回程度上司/上級者に提出していなかったのだろうかと疑問に感じた。手書きの落書きのようなノートで無く、写真や電子テキストを説明付きで整理して保存していなかったのか?今時なら落書帳のようなものでなく、電子情報として取っておくのではないか?
昨年12月の理研の最終報告書を見ると、やはり電子データはかなりあったようだ。若山研では、頻度が不明だが、プログレスレポート(PR)というものを残していた。しかし、それにもうそが書かれていたという。

理研の最終報告とWiLL3月号記事

須田氏の本では、なぜ残された試料の分析を優先させないのか、と批判していたが、12月の理研の最終報告はそれをほぼ全部行ったと言えるようだ。
この最終報告を前提に、WiLL3月号では「小保方殺し」九つの疑問という西岡昌紀氏(内科医)の記事を掲載している。この記事を読んでみたが、余り説得力のある内容ではなかった。
疑問点を挙げ、それに対する仮想の答えを出して、それはおかしいと自問自答しているのだが、見当違いの議論に見える。

特に、疑問8で、小保方さんは、検証実験で実験の前半部分を担当し、自分の担当した部分については45回中40回成功しているなどと主張している。しかし、それが緑に光ってもSTAP細胞でなければ成功と言えないのは明らかである。
また、疑問9では、電気泳動の画像の切り貼りがあって捏造だった点は不正だが、TCR再構成を巡る小保方さんらの失態をもって、STAP細胞が存在する可能性そのものを全否定することは正しくない、などと述べている。存在しないことを証明することはほとんど不可能と思うが、論文に捏造が有り、捏造と断定出来ない部分も間違いだらけであり、論文としての信頼性がほとんど失われており、その上、再現実験で論文通りの方法では再現出来なかったという事実を素直に認めるべきではないかと思う。